NANASI   「復讐は心の闇」 「……ぐっ」  おかっぱ頭に特徴のある丸眼鏡、そして左腕に大きな機械―― 決闘盤(デュエルディスク)を装着した少年が、歯ぎしりをしながら雑踏の中を歩んでいた。 「ちくしょう、城之内の奴……!」  少年が今いるこの街は童美野町といい、今日はその街全体を使った「バトル・シティ」 という大イベントが執り行われている最中である。その大イベントの内容とは、 今世界的な人気を誇っているカードゲーム「デュエルモンスターズ」のチャンピオンを決める大会だ。 現在はその予選といったところか、決勝トーナメントに進出する為の「パズルカード」を集める為、 参加者である「デュエリスト」達がしのぎを削りあっている。  このおかっぱ頭の少年、羽蛾――通称、インセクター羽蛾もその参加者の1人。いや、 1人「だった」と今は言うべきであろう。何故なら彼はつい先ほど他の参加者との「デュエル」に負け、 決勝トーナメント進出に必要な「パズルカード」を失ったばかりか、 勝者が敗者から対戦前に決定したレアカードを得る事ができるこの大会独自のルール 「アンティルール」により、自らのデッキの主力を失ってしまったのである。 (《インセクト女王》が……女王様が抜けちゃあ、このデッキは……くそっ、くそっ!  元はと言えば、武藤遊戯! 奴に敗北してから、俺のデュエリスト人生は狂い始めたんだ……!)  武藤遊戯。元日本チャンプだった羽蛾を、激戦の末に破った男。その激闘のさなかに彼が発っした 「はっきり言うぜ! お前、弱いだろ!」という言葉を、羽蛾は今でもはっきりと覚えている。 武藤遊戯に敗れてから、羽蛾のデュエリストとしての権威は失墜してしまった。武藤遊戯さえいなければ。 逆恨みだと分かってはいたが、しかし彼が何度そう思った事か。 だからこそ彼はこの「バトル・シティ」に参加し、武藤遊戯への復讐を果たす舞台にするつもりだったのだ。 そして手始めに武藤遊戯の友人、城之内へデュエルを吹っかけてみたのだが……  羽蛾は城之内を侮っていた。勝利を確実なものとする為、 彼は自分のカードを城之内のデッキに紛れ込ませるという卑劣な手段を用いた。 そして、城之内を素人同然だったころの彼と大差ないと決めてかかった結果、慢心に溺れ敗北した。 羽蛾のこの行為が世間にバレてしまえば、 もうもはや元日本チャンプの威光は完全に地に落ちてしまう事だろう。 (何とか……何とか遊戯に挑戦する方法を)  羽蛾がそう考えていた時だった。 「お前……良い闇を持っているな」  突然、誰かが声をかけてきた。低く重たい、威厳のある声だった。羽蛾はぎくっ、 として声のした方を振り返ると…… 「なっ……!」  そこに立っていた人物を見て、羽蛾は驚きを隠せなかった。何故ならそこにいたのは、 世界を滅ぼさんと活動を始めた、「魔王」だったのだから。 (ひ、人を呼ばないと!)  だが、そこは先ほどまでの雑踏とは違い、人通りが全くない路地であった。 物思いにふけりながら歩いていた彼は、自覚せぬうちに大通りから外れて人気のない 路地に入り込んでしまっていたのだった。 (ひ、ひょ、け、警察に……!)  羽蛾が身を翻してその場から逃れようとしたその時、 「逃げる事は無かろう、お前も心に闇を抱える者であろうに」  そう、「魔王」の重たい声がかかった。 「……?」 「魔王」は身じろぎ1つしておらず、羽蛾が本気で逃げだそうと思えば不可能ではなかったのだが…… その時の羽蛾は何故だか、「逃げる」という選択肢を頭の中に持っていなかった。 「どんな手を使っても、何としても武藤遊戯を倒したい、その強く歪んだ願望が、お前の心に闇を産み出す」 「心に、闇を……?」  動揺する羽蛾に、「魔王」はとどめの一言を放つ。 「お前も、この私と同じ、闇に生きる者なのだ。インセクター羽蛾よ」 「!」  羽蛾は狼狽した。そんな馬鹿な、自分がこのおぞましい存在と同類だというのか。否、そんな事はない。 卑怯な手を使ったとはいえ、人命を奪い世界を破滅させる、「魔王」と同類であるなどと…… 「フフフ、そんな事はない、か? 自分は真っ当な人間であってこの私とは違うか? だがお前は、 私の言葉を否定できまい、ん?」 (俺が、闇に生きる存在……) 魔王の言う通り、羽蛾はそれを口に出して否定する事が何故かできなかった。 復讐の為に行動していた自分は、決して誇れる様なものではない事を自覚してはいたから。 それでも、羽蛾は遊戯への復讐をやめるつもりなどさらさらなかったのだが。 「使え」  「魔王」が言う。 「ひょ?」 「呆けるな、これを使い、武藤遊戯を倒してみろ」  羽蛾が見ると、「魔王」は何枚かのカードを手渡そうとしている。その中には―― 「こ、このカードは……女王様!」  ある1枚のカードを発見した事で、羽蛾の目の色は変わった。 先ほどアンティルールで奪われてしまった《インセクト女王》が、今目の前にあるのだ。 かなりのレアカードであるそれを何故「魔王」が所持していたのか、 何故自分の目的を「魔王」が知っているのかを判断する冷静さは、無かった。 「お前が勝つには、これが必要なのだろう?」 「う……あ、ああ! 頼むよ、このカードを」  羽蛾の言葉を遮るように、「魔王」はゆっくりと首を振った。 「元より、これはお前に渡してやるつもりであった。遠慮なく受け取るが良い」 「俺は……昔の栄光を取り戻す! 俺を馬鹿にしたあいつに勝つまで、どんな手を使っても良い覚悟だ!」 「良かろう……その覚悟、受け取った」  「魔王」はにやり、とその顔に笑みを浮かべると。  羽蛾の両肩にその大きな手を乗せ、一瞬、「何か」を送り込んだ。 「今のは……?」 「私からのささやかなプレゼントだ……言うなれば、「魔力」の様なものだ。では、せいぜい頑張って、 お前の敵を打ち負かしてみるが良い。私はこれで失礼するとしよう」  「魔王」は羽蛾に背を向け、その場を離れて行く。 「せいぜい頑張って、あの者達を手こずらせるぐらいはしてもらわんとな……」  羽蛾はしばらくの間、「魔王」が立ち去った方向をぼぅっと眺めていた。 もしかして先ほどの出来事は夢だったのではないか、そんな風に彼は感じていた。だが、 (夢じゃない……)  その証拠に、アンティルールにより城之内とのデュエルで失ったはずの 《インセクト女王》は今、彼の手の中にあるのだ。そして…… 「ヒョヒョヒョ……これだ、この力があれば!」  体の底から、自分でも良く分からない「力」がみなぎって来ているのが分かる。 「魔王」のカードによってデッキも強化された。もはや誰にも負ける気などしない。 「早く……早く来いよ遊戯……俺と遊ぼうぜ……!」  歪んだ笑顔で前方を見据えた羽蛾の視界に、こちらへ向かって歩んでくる特徴的な髪形の少年が はっきりと見えた。間違うはずもない、武藤遊戯が今、もうすぐそこまで来ているのだ。 よく見ると、他にも仲間を連れている様だが、さして気にはならなかった。 元全日本チャンプのプライドにかけて、全員蹴散らしてやるまでだ。 「さ〜ぁ、リターンマッチの始まりだ! 俺のインセクトデッキの恐ろしさを、じっくりと味わえ!」                                 おわり